第63話 時は流れて(完)

 あれから、五年もの月日が過ぎ去っていた。僕は今、クローリス洋菓子店で店員として神谷さんに雇ってもらい働いている。

 あの事件で負った傷が癒えて退院した後、順調に学園生活を過ごし無事に卒業することが出来ていた。学園を卒業後、大学へ進学するか就職するか、それとも誰かと結婚して専業主夫となるのか、このような選択肢を提示されて僕は洋菓子店へと就職することを決めたのだ。

 同級生の男子学生達は、約二割が大学へ進学していき、約七割がいい女性を見つけて結婚したという。そして、残りの約一割が就職して働くことにした。実のところ、約一割の男子学生と言うのは僕一人だけで、他に就職した人は居なかったが。

 担任の先生や、周りの皆からは言葉を選びながら就職はやめたほうが良い、と忠告されていて僕は一時進路をどうするべきか、大分悩んでいた。

 けれど、僕には結婚できるような相手はその頃には居なかった。それから、記憶にあるように無難にサラリーマンとなって営業の仕事をしたいとも思わず、洋菓子店で働く以外には特になりたいと思えるような職業も無かった。それなら、わざわざ大学に進学して目的もなく時間を過ごすのは無駄だと思えて、学園を卒業してすぐに洋菓子店で働いたほうが良いと判断に至った。

 既に、商店街の看板息子として彼女達の一員となっていたので、なるべく早く正式に店員として働きたいとも感じていた。

 そんな気持ちを、母親の香織さんと担任の先生に打ち明けて、何とか就職するのを認めてもらった、という経緯がある。

 そうして準備万端にしてから最後に、神谷さんに店員として雇って下さいとお願いしに行った時は、ずいぶんと驚かれた。何度も何度も本気かどうかを確認をされて、彼女に納得してもらうように説明を繰り返し行なったのが、どっと疲れた出来事であった。

 正式に僕がクローリス洋菓子店の店員となってからは、より一層商店街の賑わいは安定した物になっていた。加えて、地元スーパーの店長の行為が世間に知られてその後、客足が徐々にだが確実に遠のいていき、それでも何度か状況の立て直しを図ったが、かつての勢いを取り戻すことは出来ずに閉店に追い込まれてしまっていた。

 近い将来に、閉店したその場所に別の会社のスーパーが出来る予定なので、商店街の状況は安定したものの、そこに胡座をかいて努力を怠らないようにと大海さん達は考えていた。それから新規開店スーパーにも対抗できるよう、準備する必要がありそうだと語り合っていた。


***


 僕は今も実家で暮らしていて、家族皆の食事を面倒見ていた。

 香織さんは、不況な世の中でありながら今も会社は安定した経営基盤を築いていて、手堅く実績を上げていた。そして、その会社の二代目として引き継ぐ予定でいる春姉さんは、香織さんの会社に勤めながら勉強する日々たった。

 沙紀姉さんは大学受験の時と同じように、いつの間にか警察官採用試験を受けていて無事に合格して警察官となっていた。ある日、警察手帳を僕の目の前に差し出しながら、何か有っても絶対に助けてやるから心配するなよ、と笑いながらと宣言されたりもした。

 紗綾姉さんも、いつの間にか小説家として有名になっていた。コンテストで賞を取って、既に何冊もの本が出版されているのに、僕は彼女に聞かされるまで知らずに居た。突然、本を持ってきて読んでみてと言われて、言うとおりに読んでみると妙に見覚えのある内容。どうやら、僕という男性を題材にした小説だったらしく驚いたのを覚えている。

 小さかった葵もだいぶ成長して、昔は僕と同じぐらいの背丈しか無かったはずなのに、話をする時など見上げないといけないぐらい大きく差をつけられてしまった。それから、今は大学まで進学して進路を悩んでいる最中でも有った。

 時が進み、皆は色々と変化していった。そんな中で、一番変化したのは僕と神谷さんとの関係だと思う。

 仕事をして毎日一緒に過ごすようになると、だんだんと打ち解けた仲になり、プライベートでも一緒に過ごして食事に行ったり旅行に行ったり、二人で行動する事が多くなった。

 ちなみに、プライベートの時には彼女の呼び方は下の名前である、志織さんだった。

 そんな一緒の時間を過ごす中で、僕は彼女を愛しいと思う気持ちが大きくなっていった。僕は覚悟を決めようと、ある決意した。

 そして今日、クローリス洋菓子店で仕事終わりに一世一代の大勝負を行おうと考えていた。一般的には、女性から男性に行う事だが、五年経った今でも僕は時々周りから見たら常識外れだと言われる行動をしていた。

「神谷さん……。いや、志織さん。僕と結婚して下さい」
「え……? えっ!?」

 一瞬、彼女は口をぽかんと開けてフリーズした後、二度目の驚き。差し出した指輪と僕の顔を交互に、何度も視線を動かして首を上下に振る。これは、プロポーズを受けてくれたのかどうか曖昧なまま、僕は不安な気持ちで数十秒待った。

「あの……、結婚してくれますか?」
「もちろん! もちろんですッ!」

 不安な気持ちが耐えきれず、僕は不格好ながらに二度目の確認を行う。すると、志織さんは激しくうなずきながら涙を流して受け入れてくれた。

 この価値観の違う世界で、僕は何とか生きていた。そして、これからもずっと生き続けていく。

 

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