第45話 ケーキ

 初めて出会う、でも僕の記憶では久しぶりとなる神谷さんという女性。記憶にある彼女よりも若く、少しだけ痩せているように見える。僅かに赤みがかった茶色のベリーショートヘアに目鼻立ちの整った美人だけれど、今は冷たい表情で僕を見ているので近寄りがたい雰囲気が漂っている。

 神谷さんの接客の時に浮かべる自然で柔らかい笑顔が印象的で、でも今の彼女が浮かべている表情は見たことがなく、その表情は冷ややかで心に来るものがある。どうやら、何らかの理由で彼女によく思われていない可能性がある。

「初めまして、神谷さん。僕は佐藤優と申します。これからよろしくお願いします」

 最初の印象をなんとか良いものにしようと心がけて、丁寧に挨拶してみたものの神谷さんの表情は特に変化がなかった。僕の方をじっと見つめて、まったく反応がない。

「あの?」
 返事がないことに耐え切れず、僕の方から声をかけてみるとようやく反応してくれた。

「神谷です。よろしくおねがいします」
 言葉遣いは丁寧だけれど、低いトーンの声色は少しトゲトゲしい。僕のイメージと違いすぎる態度に、世界が違うために見た目は同じでも性格が全然違っているのかもしれない、ということに思い至る。
 以前と今の母親や友人である圭一の変わりようを思い出して、目の前の神谷さんが僕の記憶にある人と同じだとは思わないほうが良いだろうと考える。

 そんなふうに考えている間に、神谷さんが再び先生の方へ身体を向けた。

「奥に座って話せる場所があります、案内しますので付いてきて下さい」
 神谷さんに案内され、僕と先生は店の奥へと進む。職場体験の内容について、そして今後の予定について3人で話し合いをする事になった。


***


 カウンターを超えた店の奥へと入り、木製のテーブルとイスが並べられていて、小さな冷蔵庫以外には特に目のつくものはない少し殺風景な部屋に案内された。
 多分、店の人が使う休憩室なのだろう。

「どうぞ、座って下さい」

 僕と先生は神谷さんに促され並んでイスに座ると、神谷さんは部屋の隅にある冷蔵庫から二枚のお皿を取り出す。お皿の上には苺のショートケーキが乗せられていて、ソレを神谷さんが僕達の目の前に置いてくれた。

 白のお皿の上にケーキが置かれて、ケーキフォークも添えられていてすぐに食べられるような状態になっていた。どうやら僕達が来る前に、すぐに出して食べられるように冷蔵庫に入れて用意してくれていたのだろう。

 更に神谷さんは、紅茶を用意してくれた。部屋の中にふんわりと心が温かくなるような紅茶葉の香りが漂う。白いカップに入れられた紅茶は、オレンジ色よりも少し濃く見た目も綺麗だった。

「この店のケーキです。食べてみてください」
『ありがとうございます』
 僕と先生のお礼を言う声が揃う。そして、先生が直ぐにケーキに手を伸ばしたので、僕も先生に合わせてケーキを食べてみる。

 久しぶりに食べるクローリス洋菓子店のケーキに、内心かなりテンションを上げながらケーキフォークを手に取り、ケーキの先端部分を一口サイズにフォークで切り分け口に運ぶ。
 まろやかで甘いのに不思議としつこくないクレームシャンティイに、きめ細やかでふわっふわのスポンジがよく絡み合っている。スポンジとスポンジの間にサンドされた、苺と生クリームの層も非常にいい味をしている。久しぶりに食べたからだろうか、記憶にある味の何倍も美味しいように感じた。

「とっっっても美味しいです!」
 ケーキの味に感動して、無意識に声が出る。そして再びケーキフォークを動かし、じっくりと味わう。
 あっという間にケーキを食べ終えてしまっていた。ケーキの味は変わっていなくて、更に美味しくなっているように思えて感動し、安心していた。表にお客さんが来ていないから、見た目は変わっていないのに味が全然変わっていたらどうしようと言うような不安があった。けれど、そんな不安は杞憂だった。

 この美味しいケーキを家に持ち帰り、家族の皆で食べようと心に留めておく。皆が嬉しそうに、そして美味しそうに食べる姿を想像するとワクワクしていた。


***


 クローリス洋菓子店のケーキを食べることが出来て、既にだいぶ満足してしまった僕だけれど、まだ本題には入れてないことを思い出して気持ちを切り替える。
 先生が出されたケーキを食べ終わり、ココに来た本当の目的である職場体験についての話し合いがようやく始まった。

 話し合いは先生と神谷さんの二人が中心となって進められ、僕は傍らで話を聞いていた。二人は事前に何度か話し合っていたのだろう、今回の話し合いは最終確認に加えて僕に今後について説明するのが目的のようだった。

 これから3ヶ月行われる職業体験について、神谷さんが立てたスケジュールを先生と僕に向けて説明してくれる。そして、先生が注意事項等を神谷さんに向けて説明する。そして最後に、今回の授業の目的などを説明してくれた。

 説明を聞き終えて、男子である僕はかなり優遇されているなぁと感じる。
 学園側の教師としては受験に必須なので、仕事の1つとして考えているのかもしれないが、わざわざ事前に準備を進めてくれた先生、そして職場体験できる場所の提供やいろいろと考えて計画を立ててくれた神谷さん、二人がたくさんの時間を費やして準備を進めてくれたのだろうという事が今回の説明で分かった。そう考えると、二人には感謝の気持ちでいっぱいだった。

 コレは僕の方からも3ヶ月の間にお返しできるような何かを考えておかないとバチが当たるだろう。僕はもう一度、職場体験に積極的に参加しようと思い直し、神谷さんに伝える。

「これから3ヶ月間、どうぞ宜しくお願いします」

 

スポンサーリンク

 

backindexnext