第44話 パティシエ

 職場体験について説明を受けた次の週、学校の職業体験について担当している豊崎先生に引き連れられて、職場体験をさせてもらえるという洋菓子店へとやって来た。

 今の”僕”になってから初めて来る、洋菓子店。商店街の一角にあるお店で、地元の人達が利用しやすいように入り口に仕切りがなく入りやすくなっている。そして、店内も場所を広く取られていて、商品も見やすくディスプレイされた引き込み型のデザインをされているお店。

 しかし僕達が来た今は店は、無人になっていて商品ケースの向こう側に販売員は居なくて閑散としていた。

「すみませーん!」
 引率してくれている豊崎先生が、店の奥に向かって声をかける。すると、店の奥のほうでドタバタと何かが倒れる音や、何かが机の上から落ちる音、そして食器か何かが割れる音が聞こえてきた。

「ちょ、ちょっと待って下さい! 今行きますんで!」
 音が止んで、奥から女性の返事がきた。女性の声は焦っていて、かなり慌てた様子だった。

「少し待ちましょう」
 奥からの声を聞いて、先生が店の隅にあるイスに腰を下ろして待つ体制に入った。僕は、初めて来たけれど記憶にはある洋菓子店の中を歩いて眺めることにした。

 ”クローリス洋菓子店”
 甘いもの好きとして、僕の一番のお気に入りとして通っていた洋菓子の美味しいお店で、ここのチョコレートケーキが絶品だったのを覚えている。まさか、前の世界と同じようにに今もあるとは思っておらず、先週の職場体験の説明会で存在を知った時にはびっくりしてしまった。

 商品ケースにディスプレイされているケーキを見ると、記憶している物と変わらない見た目のチョコレートケーキが置かれていた。久しぶりに食べたいなと思いつつ、他の商品も見て回る。

 オーソドックスなスポンジを使ったケーキのようで、見た目はよく馴染みのあるシンプルなものだけれど、見るものが見れば分かる丁寧さで仕上げられていて、味が飛び抜けて美味しいので非常に気に入っていた。
 ふとケーキの味を思い出しては、食べたくなるもの。ココのケーキを知ってしまってからは何度も味わいたくなってしまうので、気づいた時にはお店のファンになっているという魅力があった。
 
 ケーキ以外にも、焼菓子、アイス、そしてパンも売っているので多くのファンが平日でも店に買いに来て、いつも賑わっていた。

「あれ? そういえば……」
 お店について回想している途中にあることに気づいて、店内を見渡す。僕達が来た時にはお客さんは居らず、お店の中は無人だった。そして今も、店の中には僕と先生の二人だけ。しかも僕たちはお客さんじゃない。店にお客がやって来る様子が無い。

 店番をしないで店員が奥に引っ込んでいて、普段から店にあまり客が来ていない可能性がある。つまりは接客の必要が少なくて、奥に引っ込んでいるのだろうか。もしかしたら、今は休憩に入っていて店番を休んでいた可能性もあるけれど……。

「もしかして、繁盛していないのかな……」
 前の記憶と同じような店構えに、味は分からないけれど見た目は変わらない商品。今のところ、違っている所は客足だけだと思う。

 そんな風に店を観察していると、店の奥からエプロンを身に着けた一人の女性がやって来た。
「おまたせして申し訳ありません。この店を任されています神谷志織です」
「空床学園の豊崎と申します。よろしくお願いしますね」

 奥から出てきた女性は商品をディスプレイしているケースを横切って、僕をチラッと盗み見てから、そのまま身体と視線を先生の方に近づいて挨拶した。僕を引き連れて来てくれていた豊崎先生が神谷さんに手を差し伸べて、2人で握手を交わしている。

 僕は、彼女たちの様子を見ながら前の記憶を思い出していた。ソレは、お気に入りの店としてクローリス洋菓子店に通っていた頃の思い出。
 
 一番初めにクローリス洋菓子店を知ったのは、偶然近くを通りかかって目に入ったお店にふらっと立ち寄ったのが出会いだった。ケーキの見た目が気に入って、買って食べてみると、あまりの美味しさにびっくりしたのを覚えている。
 ケーキの美味しさに加えて、そのお店で売り子をしていた神谷さんという女性店員の笑顔にも惹かれて、このお店に通い出すことになった。

 週に一度ほど、ケーキが食べたくなった頃にお店に立ち寄って買って帰る。商品を選んでいる少しの間だけ神谷さんと会話を出来るという動機もありながら、お店に通う日々が続いた。

 買い物をしている間だけ、少なく短いながらも神谷さんと会話を重ねていくことで、本当に彼女を好きになっていってしまった僕。ちょっとずつ親しくなれているという自信はあったけれど、彼女に好きだと告白は出来なかった。

 彼女に断られたらどうしようという不安、そして断られた後に避けられてしまうのではないかと想像すると怖かった。それに彼女に断られてしまったら、気まずくなってクローリス洋菓子店にも来られれなくなるかもしれない、様々な理由を自分の中で付けて一歩を踏み出せなくなっていた。
 結局、神谷さんはパティシエとしての修行をするために海外留学するために外国へ行ってしまったために、告白も出来ないままそれきりの関係となってしまった。
 
 後悔していた。

 もしあの時に、本気で僕は彼女に告白していたのなら未来は変わっていたのかもしれないが、その時に告白をする勇気が僕には無かった。

 そんな、懐かしい前の記憶。

「彼が職業体験の希望者ですか?」
 先生と会話をしていた神谷さんが、僕の方へ視線を向ける。神谷さんに少し不審そうな、そして厄介そうな目をされる。

 彼女が不審そうな目で僕を見ている理由は分かっている。それは、パティシエという職業を志望するという男性が非常に少ないからだ。そもそも、料理や菓子作りをする男性自体が非常に少なくなっている。そんな状況で、僕が職業体験で洋菓子店を選んだ理由はパティシエという職業に憧れているのではなくて、何か別の考えがあって選んだのではないかと彼女は思っているのだろう。

 そして、厄介そうな目をしているのは僕が男だからだろう。男性の人口が少ない世界なので、僕の扱いに困っているのだろう。そして、今後のスケジュールをどうするべきか面倒に思っているのかもしれない。

 彼女から向けられる負の視線だけで、自信が無くなって心が折れそうになってしまうけれど、記憶にある悔しい気持ちを思い出す。勇気がなくて何も出来なった頃の僕を。

 そして、ニッコリと意識して笑顔を浮かべ神谷さんに笑いかける。なるべく印象が良くなるように、丁寧な言葉づかいを心がける。そして、しっかりと頭を下げて挨拶をする。

「初めまして、神谷さん。僕は、佐藤優と申します。これからよろしくお願いします」

 

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