閑話03 佐藤春の場合


(あ~、かったるいかったるい)
 春は、引越しのアルバイトを選んだことを少し後悔していた。ただ、割が良く勉強ばかりで鈍った体に少しでも運動になるかと自分を納得させた。それに、大学春休みの短期バイトなのですぐ終わるだろうとも考えた。

(確か、今日優が帰ってくるんだったっけ)
 春は優に対して苦手意識を持っていた。傲慢でわがままになり、言うことを聞かないようになってからは言葉を交わすことも殆どなくなった。男性の、しかも弟なのであまり強く当たれない。ただ、嫌いというわけではない。むしろ、姉妹の中で一番好きだと言えるぐらいに好意は持っていた。
 
 優の小さい頃に一番世話したのが春だった。やはり弟は可愛い。世界一かわいいと思っている。姉バカだ。
 駅から家まで歩いて10分。ぼーっと空を眺めながら、足を進める。

 家の前まで来たので、ジーパンのポケットからカギを取り出し玄関を開ける。
(とりあえず、部屋に戻って荷物を置くか)
 靴を脱ぐ、階段へ向かい歩く。

「ハルちゃん待って、こっちこっち」
 ダイニングルームの扉が開き中から母さんが手招きをする。
(しかたない、先にこっちか)
 母の後に続き、ダイニングルームに入る。
「帰っていたのかい、母さん。……それと、おかえり優」

「えっと、ただいま……です」
 優に対して、おかえりとあいさつをしたが、無視されるか“うざい”“うっさい”なんて言葉が飛んでくるかぐらいに思っていたが、その予想は外れた。

(ん?普通に返してくれた。それに、なんだこの可愛い反応は!?)
「ハルちゃん」
 母さんが顔を寄せて声を小さくして話してくる。
「怖い顔になってるよ」
 意外な返しに、眉間にシワがよっていたか。

「ん……普通に返事してくれたのが意外でな」
 こちらも声をひそめて返す。
「あのね、返事してくれたのはこの前話した病気の影響だよ」
「確か記憶喪失だったか……しかし、人格まで変わるものなのか?」
 以前とは違う返事、それに身に纏う雰囲気というようなものが違う。それらの違いに困惑しながら母に疑問に思ったことを聞いてみる。

「先生とお話したんだけれど、記憶喪失だけじゃなくて長い間眠った影響で
変わってしまったんだって。ただ、記憶が戻ったら元に戻るかもしれないって」
「ん……、とにかく記憶が戻るまであのままなのか」
 横目で、優を見る。小さな手でコップをギュッと握り、きょろきょろと周りを見回している。小動物を彷彿とさせる動き。
(かわいい……)
「生活していくうちに記憶が戻るかもしれないって。それで、姉妹の事もちょっとわからないらしくて説明していたの」
「わかった」
 席に戻る母に続いて、優の左側の席に座る。優と並んで座ったのはいつ以来か。目線を送ってくる優に質問してみた。

「私がわかるかい?」
「あのっ、えっと。……わからないです、ごめんなさい」

「いや、良い。私は、春。季節の春と書いて、春だ」
 ぶっきらぼうな物言いしかできない自分に少々呆れる。

「佐藤優です、よろしくお願いします。」
 自己紹介された。

「あぁ、よろしく」
 何故か妙に可笑しく感じて、必死に笑いを押し殺して表情を取り繕い返す。優が恥ずかしそうに顔を赤らめながら、母さんに話題を振る。
「それで他の人は、今どうしてるの?」

「確か、サキちゃんはいつもの部活ね。サアヤちゃんと、アオイちゃんはどうしたのかしら?」
「葵は、卒業式の準備で学校に行っているはずだ。紗綾はわからない」
 朝、制服で出かける葵を見送ったのを思い出し話す。紗綾はいつもの様に、私が出かけるときにはいつの間にかいなくなっていた。

「春さんは、何をしていたんですか?」
「ん?私はバイトに行ってきたところだ。それと、私とも母さんに話すように普通に話してくれ。それから”お姉ちゃん”と呼んでくれないかい?」
 母さんに対しては普通に話しているのに、私に対しては敬語で話すのに不満を抱いた。それならと、呼び方を変えて普通に話してくれるようお願いしてみた。

 今の、慎ましやかな優ならどんな事でも聞いてくれそうな、そんな父性を感じたからだ。

「わかりま……わかった、春お姉ちゃん」

「ぐうっ」
 春お姉ちゃんと呼ばれた時、幼い日の優が蘇った。

「あの、やっぱり春さんって」
「いや良い!そのままで良い!お姉ちゃんと呼んでくれ」
 ここで元に戻されると、ずっとそのままになりそうで急いで返事をした。

「みんなが帰ってくるまでもう少し時間が掛かりそうね、どうしましょう」
 母さんが言う言葉に、落ち着き払って感じを装い返す。
「先に優に部屋を見せよう。もしかしたら、なにか思い出すかもしれない」
「それでいい?ゆうくん」

「うん、部屋を見せて下さい」
 ダイニングルームを出て、三人で並んで階段を登り、二階へ上がる。一番奥へと
進む。

「はい、部屋のカギ。病院にいる間は私が管理していたわ。どうぞ」
 香織さんから、お尻のポケットから出したカギを渡される。
「ありがとう」

 優を見送り、母さんのあとに続いてダイニングルームに戻った。

 

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