第63話 時は流れて(完)

 あれから、五年もの月日が過ぎ去っていた。僕は今、クローリス洋菓子店で店員として神谷さんに雇ってもらい働いている。

 あの事件で負った傷が癒えて退院した後、順調に学園生活を過ごし無事に卒業することが出来ていた。学園を卒業後、大学へ進学するか就職するか、それとも誰かと結婚して専業主夫となるのか、このような選択肢を提示されて僕は洋菓子店へと就職することを決めたのだ。

 同級生の男子学生達は、約二割が大学へ進学していき、約七割がいい女性を見つけて結婚したという。そして、残りの約一割が就職して働くことにした。実のところ、約一割の男子学生と言うのは僕一人だけで、他に就職した人は居なかったが。

 担任の先生や、周りの皆からは言葉を選びながら就職はやめたほうが良い、と忠告されていて僕は一時進路をどうするべきか、大分悩んでいた。

 けれど、僕には結婚できるような相手はその頃には居なかった。それから、記憶にあるように無難にサラリーマンとなって営業の仕事をしたいとも思わず、洋菓子店で働く以外には特になりたいと思えるような職業も無かった。それなら、わざわざ大学に進学して目的もなく時間を過ごすのは無駄だと思えて、学園を卒業してすぐに洋菓子店で働いたほうが良いと判断に至った。

 既に、商店街の看板息子として彼女達の一員となっていたので、なるべく早く正式に店員として働きたいとも感じていた。

 そんな気持ちを、母親の香織さんと担任の先生に打ち明けて、何とか就職するのを認めてもらった、という経緯がある。

 そうして準備万端にしてから最後に、神谷さんに店員として雇って下さいとお願いしに行った時は、ずいぶんと驚かれた。何度も何度も本気かどうかを確認をされて、彼女に納得してもらうように説明を繰り返し行なったのが、どっと疲れた出来事であった。

 正式に僕がクローリス洋菓子店の店員となってからは、より一層商店街の賑わいは安定した物になっていた。加えて、地元スーパーの店長の行為が世間に知られてその後、客足が徐々にだが確実に遠のいていき、それでも何度か状況の立て直しを図ったが、かつての勢いを取り戻すことは出来ずに閉店に追い込まれてしまっていた。

 近い将来に、閉店したその場所に別の会社のスーパーが出来る予定なので、商店街の状況は安定したものの、そこに胡座をかいて努力を怠らないようにと大海さん達は考えていた。それから新規開店スーパーにも対抗できるよう、準備する必要がありそうだと語り合っていた。


***


 僕は今も実家で暮らしていて、家族皆の食事を面倒見ていた。

 香織さんは、不況な世の中でありながら今も会社は安定した経営基盤を築いていて、手堅く実績を上げていた。そして、その会社の二代目として引き継ぐ予定でいる春姉さんは、香織さんの会社に勤めながら勉強する日々たった。

 沙紀姉さんは大学受験の時と同じように、いつの間にか警察官採用試験を受けていて無事に合格して警察官となっていた。ある日、警察手帳を僕の目の前に差し出しながら、何か有っても絶対に助けてやるから心配するなよ、と笑いながらと宣言されたりもした。

 紗綾姉さんも、いつの間にか小説家として有名になっていた。コンテストで賞を取って、既に何冊もの本が出版されているのに、僕は彼女に聞かされるまで知らずに居た。突然、本を持ってきて読んでみてと言われて、言うとおりに読んでみると妙に見覚えのある内容。どうやら、僕という男性を題材にした小説だったらしく驚いたのを覚えている。

 小さかった葵もだいぶ成長して、昔は僕と同じぐらいの背丈しか無かったはずなのに、話をする時など見上げないといけないぐらい大きく差をつけられてしまった。それから、今は大学まで進学して進路を悩んでいる最中でも有った。

 時が進み、皆は色々と変化していった。そんな中で、一番変化したのは僕と神谷さんとの関係だと思う。

 仕事をして毎日一緒に過ごすようになると、だんだんと打ち解けた仲になり、プライベートでも一緒に過ごして食事に行ったり旅行に行ったり、二人で行動する事が多くなった。

 ちなみに、プライベートの時には彼女の呼び方は下の名前である、志織さんだった。

 そんな一緒の時間を過ごす中で、僕は彼女を愛しいと思う気持ちが大きくなっていった。僕は覚悟を決めようと、ある決意した。

 そして今日、クローリス洋菓子店で仕事終わりに一世一代の大勝負を行おうと考えていた。一般的には、女性から男性に行う事だが、五年経った今でも僕は時々周りから見たら常識外れだと言われる行動をしていた。

「神谷さん……。いや、志織さん。僕と結婚して下さい」
「え……? えっ!?」

 一瞬、彼女は口をぽかんと開けてフリーズした後、二度目の驚き。差し出した指輪と僕の顔を交互に、何度も視線を動かして首を上下に振る。これは、プロポーズを受けてくれたのかどうか曖昧なまま、僕は不安な気持ちで数十秒待った。

「あの……、結婚してくれますか?」
「もちろん! もちろんですッ!」

 不安な気持ちが耐えきれず、僕は不格好ながらに二度目の確認を行う。すると、志織さんは激しくうなずきながら涙を流して受け入れてくれた。

 この価値観の違う世界で、僕は何とか生きていた。そして、これからもずっと生き続けていく。

 

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第62話 入院生活

 精密検査を受けた結果、内臓には特に異常が見られず、手術後の状態も問題ないそうだった。後は、傷が無事に塞がり快復するのを待つだけだ。

 そうして約一ヶ月の入院期間、ほとんど病室で生活することになったけれど、色々とあって退屈すること無く過ごせた。

 毎朝、日野原先生が病室を尋ねて来てくれて、世間話等をしながら傷の状態を診察して下さり様子を確認してもらう、というのが日課となっていた。

 それから、午前中から午後にかけて毎日のように色々な見舞客が来てくれた。

 たとえば、家族の皆。香織さんは、本当に毎日のように病室を訪ねて来ていた。仕事が空いた隙間時間にも、無理をして病室を訪ねて来るほどだ。逆に毎日、コッチに来るのが負担ではないのかと心配になるぐらいであった。春姉さんも、そんな香織さんを心配していて、見張りのついでに僕の見舞いに来てくれた。

「優、母さんの事は気にせず、今は休むことに専念してくれ」
「わかった。気遣ってくれて、ありがとう」

 紗綾姉さんに沙紀姉さんの二人は、大学生活が大変だろうに、わざわざ時間を作って週に二三回は見舞いに来てくれていた。

 妹の葵は時々ふらっと病室にやって来て、僕と彼女の会話は少なめだが一緒に携帯ゲームをプレイして遊んだりして、コミュニケーションを取った。どうやら彼女なりの方法で、僕を気遣ってくれているようだった。

 家族以外にも、友人の圭一が授業終わりにわざわざ来てくれたり、担任である加藤先生が様子を見に来てくれたり、部活仲間の鏡桜さんや、卒業して大学生になっていた料理部部長さんも事情を知って駆けつけてくれた。

 大海さんや野辺地さん、他の商店街の皆も僕の病室に顔を出してくれた。けれど、僕が入院したての最初の頃は、事件が起こった原因の一端を担っているのは、自分たちが宴会を開いた事に有るのではないか、と気に病んで決まりの悪そうな表情をしていた。僕は神谷さんに語ったように、とにかく皆が責任感を感じる事は無いと何度も繰り返し説得した。

 それに、これから商店街を更に盛り上げていこうという時に僕は入院してしまって、手伝いが出来なくなり迷惑を掛けている。謝らなければならない事は、僕にも有ると語ると彼女達は大きく首を振って僕のせいでは無い、迷惑なんて思っていないと否定してきた。

 結果、この話し合いは不毛な議論だという結論に至り、僕達の間では今回の事件について謝り合うのはやめよう、という事になった。

 あとは、事件の調査のために二人の女性警察官が病室に訪問してきた事もあった。彼女達は、非常に低姿勢に「私達で、お話を伺ってもよろしいですか?」と確認してきたので、大丈夫ですと返事をすると、ホッと一安心の表情で質問を始めた。

 事件が起こる直前の事、呼び止められた時に見た女性の様子、そして刺された時のこと。覚えている限りの詳細を彼女達に伝えた。

 その後、僕の証言が終わると、お返しだというような感じで彼女達の口から事件の詳細を教えてもらった。ソコまで話して良いのだろうか、と疑問に思ってしまうほど事細やかに。

 聞いたところによると、僕を刺した女性は商店街の近くにある地元スーパーの店長を務めている、という人物らしい。

 そして事件を起こした動機について、地元商店街の盛り上がりにより地元スーパーの方の買い物客が減少し、売上が落ち込んだいった。何とか地元スーパーの売上減少を食い止めなければならないと頭を悩ませて、商店街が盛り上がり集客できたキッカケとなった僕の存在が、地元スーパーにとって邪魔だという考えに至ったという。
 そうして、僕を排除しようと何度か待ち伏せて事件を決行した、と語っているそうだ。

 けれど、彼女は傷害事件を起こした後に僕の父親である人の元へ向かい、数日間匿われていたらしい。息子を刺した後、その父親に会いに行くなんて。しかも元愛人関係で、数日間も匿っていたなんて無関係とは考えにくい。

 そんな訳で、今回の事件に父親が何らかの関わりが有るのではないかと警察は取り調べているらしいけれと、彼は関与を否定し続けている。しかも、男性保護法を盾にされて警察では無理押しでの取り調べが出来ずにいる、警察官である彼女達から疲れきった表情で愚痴られてしまった。

「という事で、今回の傷害事件の犯人は私達警察が既に取り押さえているから、不安がらずに快復に集中してね」
「今回のような事件が今後は起きないように注意するから、佐藤さんは心配する必要はありませんよ。万が一、何か起こったら警察に連絡をください」
「えっと、ありがとうございます」

 二人の警察官は親身になって不安を取り除く為なのか、早口で危険も無くなって安心できるという事情を説明してくれた。加えて、もしもの場合の最初方法を忠告してくれたり、色々と話しをして、退室していった。

 こんな風に、僕の一ヶ月の入院生活は何事もなく順調に過ぎ去り、傷も完全に癒えて痛みも無くなったので退院することになった。

 

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第61話 それぞれの反省

「今回は、記憶の混乱は無いようで安心しました。ただ、脇腹の傷が癒えるまでは長期の入院が必要ですね。安静に過ごして、おおよそ一ヶ月程は掛かると思います。適宜、様子を見ていきましょう」

 日野原先生は、診察を終えて僕の今の状態を知らせてくれた。今回は、外傷を負ったということで治療が完了するまでは長期の入院が必要らしく、すぐには退院できそうにない。

「ありがとうございます、先生」
 日野原先生にお礼を言ってから、診察が終わったので脱がされていた病衣を着直す。

「……いえ、仕事ですから。明日には、精密検査を行いますので今日はベッドの上から動かないよう、安静に過ごしてください」

 慣れた様子で、簡潔にソレだけ伝えると足早に病室から出ていった日野原先生。そして、香織さんも僕が目覚めたことを家族に連絡するためにと、病室から出ていこうとする。

「先生が言った通り、くれぐれも安静にね。電話が終わったらすぐに戻ってくるから」
「わかった、傷が開かないように注意するよ」

 何度も身体を動かないよう僕に注意して、それでも気になるのか辛そうな顔をして病室を出ていった。


***

 入院生活の二日目。昨夜は、香織さんが病院から許可を取って一泊していった。親として、僕の状態を心配してくれているのだから有り難いけれど、少し過保護にすぎるのではないかと気掛かりが増えたのだった。

 香織さんは朝早くから仕事があるそうで、目覚めてすぐに帰る支度を始めていた。けれど、ここでも僕の様子を心配してくれているのか、なかなか出発に踏ん切りがつかないようだった。

 そんな訳で、僕が仕事に向かえるように応援する言葉を何度か口にしてようやく、苦労の末に仕事に向かって、病室を後にしたのだった。

 予定では今日、精密検査が行われると日野原先生から聞かされていたので、始まる時間までは、じっと動かず言いつけを守って待機していた。けれど、まだまだ予定の時間は先だったので、個室部屋で一人ボーッと過ごしていた。

 そんな時、病室の扉がコンコンと2回。控えめなノック音が聞こえてきた。

「どうぞ」
「こ、こんにちは」

 ノックに返事をすると、ゆっくりと扉が開かれた。そして、恐る恐るという様子の低姿勢て病室に入ってきたのは、神谷さんだった。彼女の顔色は青ざめていて、見るからに具合が悪そうに見える。

「神谷さん! わざわざ来てもらって、ありがとうございます」
「あの、えっと……、具合はどう?」

 歯切れ悪い神谷さんの言葉に、どうしたんだろうと心配しつつも彼女の質問に答えて、会話を続けた。

「大丈夫ですよ。ただ、傷が塞がるまで1ヶ月ぐらい掛かるらしくて、その間はお店を手伝えなくて、本当にごめんなさい」
「そんな! あなたが気に病むことはないわ!? 悪いのは私だから……」
「え? 何故です?」

 神谷さんの方こそ、気に病む必要は無いのでは? そう咄嗟に思った僕は、無意識にそう質問していた。そうしたら、神谷さんは後ろめたそうな暗い表情を浮かべて、説明をしてくれた。

「あの夜、本当は私があなたを駅まで見送るべきだった。酒に酔って、浮かれて、自宅に招くなんて馬鹿な誘いをしたから、ソレを断られて気まずくなって、そこで別れてしまったから……。もし、あの時あなたをしっかり見送っていれば、事件も起きなかったかもしれない」
「神谷さんだけが悪いんじゃなくて、僕の注意不足も原因ですよ。まさか、お店から駅までの短い距離で事件が起こるなんて予想もしていませんでしたし。それに、犯人の女の人は僕を狙っていたようでしたから、あの事件を回避できたとしても、別の機会に襲われていたと思います」
「でも」
「誰が悪かったなんて話は、もう終わりにしましょう。僕は気にしていません。神谷さんも深く自省したようですし、これ以上反省することはありませんよ」
「……」

 100%の割合で自分が悪い、と感じている様子の神谷さん。それは違うと説き伏せようとしても、彼女は納得してくれないので強制的に話を終わらせて話題を変える。

「ところで、今日はお店はどうしたんですか?」
「……実は、一週間程お休みしている」
「えっ? せっかく、商店街にお客さんが戻ってきたのに、今お店を開けないでどうするんですか?」
「佐藤さんに、申し訳なくて……」

 話を逸らそうとしたけれど、あまり逸らせることができなかった。そして、神谷さんは僕が思っているよりもずっと重く、今回の出来事について責任を感じているようだった。そして、彼女の精神状態は少しマズイ状態にあるようだった。このまま放置していると、更に悪い方向へと進行していきそうだった。

「神谷さんは、本当に悪くありませんよ。今回は、運が悪かった。それだけです」
「ううっ」
 とうとう、泣き出してしまった神谷さん。僕はベッドの上から、彼女の手を引いて側に寄らせると、落ち着くようにと背中をさすった。

「それよりも、1週間もお店を休んでしまったら困ってしまう人が居るでしょう。僕は神谷さんのケーキが大好きですし、他にそう思っているお客さんが居るはずです。だから、今すぐに戻ってお店を開いてください」

 しばらくの間、神谷さんは静かに泣き続けていて、僕は彼女の背中をさすりながら安心させようと口を開いた。

 懸命にケアした結果、ようやく落ち着いた神谷さんは、お店に戻って営業を再開することを約束して、病室から去って行った。

 今回の事件と入院で、色々な人に迷惑と影響を与えている事を実感した僕は、反省するしかなかった。

 

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第60話 二度目の入院

「っ! ……いてててッ」

 意識が覚醒した瞬間、目を見開き急いでベッドから起き上がろうと頭を上げた僕は、脇腹の痛みによって浮かせた背中は再びベッドの上に戻った。

「いってぇ……」

 脇腹の傷は結構深いようで、少し身動きを取るだけで体の内部から鋭い痛みを感じる。だから、なるべく動きを小さく傷が痛まないように注意をしながら、自分が居る場所を目で観察をする。

「ここは、……病院かな?」

 ぐるりと見回してみると、真っ白な壁と清潔そうな白色のカーテンが目に入った。太陽の光が入り込んできて、白色に統一された室内によって光が反射して眩しいぐらいに明るい。

 見覚えのある景色だった。自分が今居る場所について、ようやく思い至る。部屋には誰も居ないので正確かどうか分からないけれど、そこは以前入院していた病院のようだった。

 なぜ自分は病院のベッドの上に居るのだろうか、直前の記憶を思い出そうと試みる。昨日の飲み会から、解散して駅に向かって歩いていたこと。そこで、女性に呼び止められて振り返った事。異様な雰囲気を纏った女性が立っているのを目にして、不安と恐怖によって身体が動かなかったこと。

「昨日、見覚えの無い女性に刺されて、僕は気絶したのか」

 少し前に、強盗に刺されて気絶した、という記憶を思い出す。あの時は、突然背中を刺されて訳も分からず気絶した。そして、何故か自分の知っている世界の常識が変容していた。

 女性に刺された後、自分はどうやって病院に運ばれたのか。色々と記憶を探っていく途中で、嫌な想像が僕の頭を掠めていた。

 妙に重い今の自分の身体、薄暗い路地でのデジャヴを感じる出来事、そして荒唐無稽な世界について、自分の認識している常識が常識じゃない世界。

 唐突に思いついた想像は、鳥肌が立つぐらいに僕の感情を揺さぶった。

 また自分は、刺されたことによって33歳の社会人に戻ったのではないか。今の自分の負っている傷は、強盗に刺されたものではないか。今までの記憶は、夢だったのではないか……?

 鏡があれば、自分の今の顔を見て以前の社会人であった頃の自分か、それとも学生に戻った自分の顔か、確認できるはずなのに。母親である香織さんか、姉の春姉さんか、それとも他の家族の誰かが居てくれれば、話を聞いて確認できるのに。しかし今、部屋の中には鏡が見当たらないし、人も居ない。

 けれど、不安は徐々に大きくなっていく。嫌な想像を振り払うため、急いで今の自分の状況を知りたい! 
 どうにかして調べられないか、近くに人が居ないか確認しようと、ベッドから起き上がろうとする。

「ぐぅっ……!?」

 傷のズキズキとした鈍痛を無理して押さえ込み、僕はベッドから立ち上がろうとした。


「うわっ!?」

 けれど、一歩足を踏み出そうとした瞬間、下半身に力が入らず床に倒れ込んでしまった。倒れに前に床に両手をついて、何とか頭をぶつけず怪我もなく済んだけれども……。

 床に四つん這いで倒れている目の前で、ガシャン、というガラスの割れる音が聞こえて、僕は音の聞こえた方向へ顔を上げた。

「ゆ、ゆうくん! 大丈夫!? 怪我はない?」

 そこには、母親である春香さんが僕を心配しながら慌てた様子で口を開いているのが見えた。そんな彼女の様子を見て、僕は心底安堵した。世界は変わっていない、と理解できたから。


***


 それから、前回に引き続き担当医をしてくれるという日野原先生に来てもらい、簡単な診察を受けながら僕が気絶した後の状況について、香織さんに説明してもらっていた。

 僕が刺されて気を失った後、通報があってすぐに救急車が来て病院に運ばれたそうだ。そして、刺された脇腹の傷を塞ぐ手術が行われたらしい。

 不幸中の幸いと言うべきか、凶器は刺さったまま放置されたので出血多量による死亡を免れた。加えて、前回の入院していた時や、通院していた時に記録されていた診断結果を参照することが出来て、すぐに傷の処置ができて、手術をスムーズに行えたのが良かったという。

 で、僕が昨日の出来事だと思っていたら、あれから1週間経っていたらしい。

「一週間も、僕は目を覚まさなかったの?」
「そう、あれから一週間。前に倒れた時も、一週間かかって目を覚ましたから、もしかして今回も、って思ってたから。本当に、本当に良かったわ」

 少し涙声で、目覚めたことを喜んでくれている香織さん。前回は、原因不明で倒れて1週間も心配させてしまった。そして、今回は傷害事件に巻き込まれて、再び一週間も眠り続けてしまった……。心配ばかり掛けて、本当に心苦しい。

 僕は、慌ててネガティブな気持ちを切り替えようと事件の詳細を更に詳しく聞いてみた。

「ところで、その、犯人はどうなりましたか?」
「数日前に、警察が犯人をつきとめて逮捕したらしいわ」

 香織さんの聞いた話によると、事件の目撃者が何人か居たらしく、事件の聞き込みが精力的に行われ、比較的早く犯人を特定できて捕まえられたという。これには、襲われたのが僕という、性別が男性だったという理由も大きいのだろう、普段に比べるとかなり力を入れて捜査されたという。

「それから、コレは言いにくいんだけれど、あの人も関係していたらしいわ……」
「えっと、あの人って?」
「父親よ」
「えっ!?」

 思わぬ名前を聞いて、僕は声を上げて驚いてしまった。まさか、そんな関係により起こった出来事だったなんて。

 僕を襲った女性は、父親の元愛人だったらしくて、少し前に親権問題に関して騒動を起こしたことや、今回の僕が襲われた事件も何かしら関係があるのではないか、という疑惑が強いらしくて、事情聴取が行われているという。

 

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第59話 再び

 飲み騒ぎは、まだまだ続いていた。女性達は、仲のいい人同士で集まっているのか幾つかのグループに分かれて酒を飲み交わしていた。

 僕は、その分かれたグループの各テーブルを巡ってお酌をして回った。どうやら、社会人としての記憶があるせいか、一番年の若い自分が動かないと、という意識が強くて何かをせずに居られなかったから。そして、この機会を理由にしてコミュニケーションを取って、彼女達とより仲を深めておこうという目的もあった。

「ビール、おかわりいかがですか?」
「え!? あっ、えっと、どうも」
「はい、どうぞ」

 グラスにあるビールの残量に注意を向けながらテーブルを回り、空いているグラスを見つけて会話のキッカケに声を掛ける。

「まさか、こんな男の子からお酌してもらえるなんて……。生きててよかった!」
「私も!」「こっちも、注いで注いで!」「ゴクッゴクッゴクッ、っぷはぁ。空になっちゃった!」
「落ち着いてください! 皆さん、順番にお酌させてもらいますから。一気飲みしなくても、自分のペースで飲んで空いてからで大丈夫ですから」

 一人にお酌すると、他の女性達も次々に空になったグラスを僕の目の前に差し出してくる。
 落ち着くように言ってから、順番に酒を注ぎ込んでいく。お酒を注いだだけで女性達は、すごくご機嫌になって幸せそうな笑顔になる。喜んでもらえているようで何よりだ、と思いつつも彼女達の会話に割り込んで、色々な話をした。

 主に話したことは、商店街に関すること。彼女達は皆、お客様を呼び戻すことに成功して商店街が復活できたことを喜んでいた。

 更に他に話したことと言えば、彼女達の学生時代の話、話題の芸能ニュース、飲み会での失敗話、そして女性達から見た男性についての話、等など色々な話を聞けて僕は楽しんでいた。

「うわっ」

 ふと、目を他のグループに向けてみると、上半身に何も身に着けていない裸をさらけ出した女性が視界に入り、びっくりして声が漏れたのと同時に視線を慌てて逸らす。

「こら、裸になるなんて佐藤くんが困ってるでしょ! 今日は男性も居るんだから、自重しなさいッ!」
「ごめんなさ~い」

 僕の反応に気づいた女性が、上半身裸の彼女を諌める。酔っ払った女性は、楽しそうな声で謝罪して、放り投げていたシャツを拾って着直しているようだった。

 見れてラッキーという気持ちよりも、見てしまったという気まずさのほうが強い。すぐに服を着直した女性に、ホッと一安心する。と言うか、女性なのに自重しなければ裸になるのは当たり前なのだろうか……?

 また一つ、価値観の違いに驚きつつ飲み会は終わりを迎えた。


***


「うえぇぇぇ、ぎもぢわるい」
「大丈夫ですか? お水飲みますか?」
「ありがとう、……うっぷ」

 飲み会は終了したものの、具合の悪くなった人達が続出し、しばらく彼女達を介抱する必要があった。その他には、まだまだ元気な女性達は二次会に向かう準備を始めている。

「酔っぱらいの介抱してくれて、ありがとう佐藤くん」
 会計を済ませていた大海さんが、近づいてきて僕に声を掛けてくれた。

「大海さん、お疲れ様です。あなたも顔が真っ赤ですけど、大丈夫ですか?」
「ん? 今のところ大丈夫だが、明日の朝は大変かもしれないな。まぁ、これは自業自得というか見栄を張った結果だから、仕方ないだろう」
「えーっと……、お疲れ様です」

 彼女の受け答えを見ると意識はハッキリしているようだったが、顔は酒に酔って真っ赤だった。大海さんは八百屋を経営しているはずで、明日も店を開くはずなのだが商売は大丈夫なのだろうか、と心配してしまう。

「神谷さん、お疲れ様でした」
「うっぅぅ、お、お疲れ様」

 大海さんと少し会話をして酔っ払った女性達を任せ別れた後、次は神谷さんに声を掛けた。すると、彼女も酒を飲みすぎたのか具合が悪そうだった。しかし彼女は顔色を悪くしながら、なんとか返事をしてくれる。

「えっと……、佐藤くんは、具合は大丈夫? 家にちゃんと帰れそう?」
「僕は未成年なんで、お酒は飲んじゃだめって事で、飲んでないですよ。だから、意識もハッキリしているので、家に帰るのは問題ないです」
「もう、夜も遅いし、もし、よ、よかったら、家に泊まっていかない?」

 思いもよらない神谷さんの言葉に、僕は驚きつつも返事する。

「申し訳ないんですが、今日は帰らないと。学生の身で、神谷さんのような妙齢の女性宅に泊まるなんて、家族に心配されてしまいます」

 見た目からして僕の好みである、美女の神谷さん。そんな女性と一晩一緒に過ごせるなんて嬉しく思うけれど、一晩何もせずに我慢するなんてできそうにない。そして、もし万が一があったら、学生の身で責任なんて取れないだろう。

 そんな思考が働いて、僕は彼女の誘いを家族を理由にして断ってしまっていた。

「そ、そうよね。家に泊まってなんて急に言ったら、佐藤くんに迷惑かけてしまうわね。ごめんなさい」
「いえっ、誘ってくれたのは本当に嬉しいです。今度改めて、事前に予定を組んでから泊めさせてもらいたいです」
「う、うん。わかった。ごめんなさい」

 誘いを断ってしまい、少し気まずい感情になって神谷さんと分かれ、一人家路につく。宴会が行われていたお店から、電車に乗って自宅へ向かう。

 先程までの楽しい時間。一緒に居た人達と別れて一人になると、急に寂しいという感情が大きくなった。早く家へ帰ろうと、店から駅までの最短ルートを急いで歩く。

「ん? 人が……?」

 ビルが立ち並び、お店の光る看板が目に眩しく、辺りから飲み屋での会話が聞こえてくる路地。気がついた時には、その路地に丁度僕だけ一人になっていた。少し薄気味悪い空気を感じて、急ごうと足を早めた時に、後ろから声を掛けられた。

「あなたが、佐藤さん?」
「え?」

 声を掛けられた方へと視線を向けると、ビルとビルの間にある脇道、看板や街頭の光が届いていない真っ暗闇に隠れたソコに、ゆっくりと佇む女性が見えた。

 僕を呼びかけたのは彼女だろうか。

 身長は彼女のほうが大きく、僕のほうが小さかったので見上げる形になっていた。加えて彼女は僕を睨むような、何かを確認するような鋭い形相をして視線を向けてきている。

 そんな彼女の異様な表情に気圧されて、何も言えずに僕はその場に立ち止まってしまった。そして、彼女の手元にキラリと光る何かが見えた瞬間、身体が動かなくなる。

「あ、え?」

 まるでスローモーションのように、見知らぬ女性が僕に徐々に歩み寄り、近づいてくるのが見えていた。しかし、僕の身体は石のようにガチガチになって動かなくなっている。そして、身体が触れる距離まで縮まり、僕と彼女の身体が重なる。

 薄暗い路地、一人で歩いている時、突然感じた腹部が燃えるような熱。デジャヴを感じる状況に、理解が徐々に追いつく。

 この女性に、脇腹を刺された?

「これで、また、会える」
「ぐぅっ……」

 女性の声を耳にしながら、身体に力が入らず僕は立っていられなくなり地面へと倒れ込む。見知らぬ女性は一言だけ口にして、どこかへ走り去ってしまった。

 前は通り魔だったが、今回は名前で呼び止められた。相手は、僕を目標にして狙ってきたようだったが、誰だか分からず、理由も分からない。

 身体が動かず、思考だけが進む。しかし、段々と意識が朦朧としてきていた。これで、目覚めたらもしかして……。

 そして、僕は気を失った。

 

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第58話 お祝い

「今日で、佐藤さんの職業体験の授業が終了という事で、彼のお疲れ様会を開きたいと思います。では、かんぱーい!」

 商店街の関係者である女性達が集まって居酒屋を借り切り、宴会が開かれていた。彼女達は酒の注がれたジョッキを片手に、会長の大海さんが乾杯の音頭を取った。

 今日は、学園の授業の一環である職業体験の学習期間が終了した夜だった。授業が無事に終わって、単位を貰えるのが確実となり、ソレを祝うために商店街の皆が集まってお疲れ様会を開いてくれたのだ。

「かんぱい、お疲れ様」「かんぱい、良かったねー」「カンパーイ! おめでとう!」

 大海さんの一声で、辺りの女性達がグラスをカーン! と合わせて乾杯と言い合う声と、僕を向けた労う言葉を口々に言ってくれていた。

「ありがとうございます、皆さん」

 今回の集いには、僕の職業体験先として受け入れてくれた神谷さんはもちろん、商店街の復興を目指して一丸となって頑張った人たち、会長の大海さんや、野辺地さん、そして波々伯部さん。他にも、商店街の各店を回って接客した時に仲良くなった女性達など合計数十人もの人達が集まっていた。

 未成年の僕は、残念ながらお酒ではなくオレンジジュースを手にして、彼女達からの歓待を受けている。極力、ビール瓶から目を離して食事に集中して楽しもう。

「いやぁ、本当に、うちの商店街を選んでくれてありがとう。佐藤くんは、この商店街の救いの神だ」
「いえいえ、そんな」

 大海さんは満面の笑みでぐびっと酒をあおるように飲みながら、片手で僕の頭を抱え込みヨシヨシと髪を撫でてきた。身長差があり、見た目以上に力が強い彼女からは逃れられそうにないので、僕は無抵抗で彼女のなすがまま何とか答える。

「商店街の復興は、僕だけの力じゃないですよ。職業体験先として僕を引き受けてくれた神谷さん、真っ直ぐに商店街の手伝いを要請してくれた大海さん、そして率先して動いてくれた野辺地さん、その他にも皆が一丸となって商店街の為にと活動したのが成功した要因だと、僕は思います」
「そんな風に思ってくれているなんて、本当に嬉しいよッ!」

 大海さんは、僕の言葉を聞いて歓喜に酔っているようだった。でも、僕の嘘偽りの無い本心からの言葉だったので、少し恥ずかしいと感じたけれど伝えておきたかった。

 そして、僕の頭を掴み喜んでいる大海さんの他にも、僕の言葉を側で聞いていたのか、皆が僕達の方へ視線を向けて喜びいっぱいの顔をしていた。

「ほら、たかみ。それ以上やったら、流石に佐藤くんでもセクハラで訴えられるわよ」
「あっ、ごめん。 はしゃぎ過ぎた、まだ学生の男の子に、こんなに接触したらマズかったな。 申し訳ない」

 野辺地さんの指摘に、頭から水を浴びせられたかのように表情を硬直させた大海さん。そして、次の瞬間には頭を下げて謝られる。

「そんな、頭を下げないでください! 僕は大丈夫ですから」

 こんなに楽しい場を乱すような事は、起こってほしくなかった。そして、大海さんには引きずって欲しくないと慌てて彼女の行動を許す。それにむしろ、抵抗しなかった僕の方にも大きな責任があるだろうに。
 未だに常識的な男女の距離感を上手く取れない僕は、先程の大海さんの接触を拒むべきだったかと、反省する。

「ところで、最近の商店街の状況はどうですか?」

 雰囲気を変えようと、僕は急いで別の話を振ってみた。すると、大海さんが気を取り直して商店街の近況について、詳しく説明してくれた。

「以前は、全然通りに人が居なくて近寄りがたい雰囲気が漂っていたから、利用しにくかったけど、最近は利用する人も増えて来ていて、気軽に立ち寄りやすくなったって」
 大海さんが、お客様から聞いた商店街の印象を教えてくれた。

 僕も、最初に学園の先生と一緒にクローリス洋菓子店へ来た時には、閑散としていて暗い雰囲気を感じ取っていたのを思い出した。そして、今では雰囲気がガラリと変わり、入りやすい商店街に変わったと大海さんの語った意見に同意する。

「おかげさまで佐藤くんが居ない時にも、うちの花屋を利用してくれる常連さんが増えたよ」
「私の店も、今年になって、と言うか数年ぶりに冷蔵庫が売れたわ」
「洋菓子店も、もちろん佐藤くんが店に居るときに一番お客様が入るけれど、それ以外の時間でもお客様が来てくれるようになったわ。以前からは、考えられない状況になってる」

 野辺地さんの花屋、波々伯部さんの電気店、神谷さんの洋菓子店、各店の状況を知らせてくれた。

 加えて、回りにいる他の女性達からも、うちも景気が良くなった、新しい常連客を掴めた、店を畳まなくて済んだ、等など前向きな報告を沢山聞くことが出来た。

 商店街は、無事に復活することが出来たようで、本当に良かったと僕は胸をなでおろす。

「あー、その、頼ってばかりで申し訳ないが、引き続き商店街の為に手伝ってくれるとありがたい」
「はい、もちろんです」

 大海さんに再び要請されて、僕はすぐに了解という返事をする。手伝うと決めたあの時には既に、職業体験の授業が終わった後も手伝おうと考えていたから。

 商店街は大いに盛り上がっていて、今更僕の力が無くても後は皆の努力次第で、より一層この商店街は活発になって行けるだろう。けれど、僕は出来る限り最後まで一緒になって商店街の行く末を見て行きたい、と感じていたから。

 こうして、僕の職業体験の終わりを皆に祝ってもらうのに加えて、商店街の復活を祝いながら全員で宴会を楽しんだ。

 

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閑話16 活動経過、周りの視点

 その商店街は、買い物客の減少で寂れる一方だった。商売が成り立たなくなって閉店した店がシャッターを下ろして、全体的に暗く近寄りがたい雰囲気が漂っていた。

 悲惨なのは、そんな未来のない商店街の各店を継がされた人達だ。彼女達は、何とか現状を打破しようと、劇的な変化を起こすような策が無いか、日々話し合いを続けていた。しかしながら、今更何をやっても無駄だろう、という諦めの気持ちも次第に大きくなっていた。

 そんな時期に、思わぬところから大きな変化が起きようとする出来事があった。それは、佐藤優という男性が寂れて何も無いような商店街で職業体験を行いたい、という要望を出してきた事。

 佐藤優の話を聞いた商店街の人達は半信半疑で、こんな場所に男性が来るという事実に、嬉しい気持ちが大半を占めている一方で、厄介な性格の人が来たら迷惑だという否定的な考えもあった。人口が数少ない男性というのは、居るだけで価値があり、女性に対して無条件に大きな影響力を持っていた。万が一、男性からわがままを言われても、女性は可能な限り叶えてあげないといけない、というような考えが一般的だった。

 佐藤優が職業体験を希望し、受け入れることになったクローリス洋菓子店の店長である神谷志織は、羨ましいという感情と、大変だろうなという労る視線を他の商店街の人達から向けられていた。
 そして、そんな視線を送る彼女達は極力関わり合いにはならないように、遠目から佐藤優を眺めて楽しもうと傍観者を決め込んだのだった。

 そうした状況が一変したのは、神谷志織と佐藤優が顔合わせをした後の事だった。佐藤優は世間一般の男性とはかけ離れた優しい性格で、女性に対して無闇に高圧的な態度を取らない事を知った神谷が、彼との出会いを自慢げに語ったのだ。

 その話を聞いて、最初は傍観者として振る舞おうとしていた人達が一転、何とか彼とお近づきになりたい、と思うようになった。

 男性と交流を持つことなんて、人生で数えるほどしか無い。しかも、無害な男性との接触。そんな貴重なチャンスを活かそうと考えて、彼女達は商店街の現状という問題を利用することにした。

 つまりは、商店街の寂れた現状という問題を共有しつつ、色々と解決しようとする自分たちの姿を見せつけて、格好をつけようと考えたのだ。

 けれど、そんな思惑は上手くは行かなかった。商店街に対する周辺市民の持つ暗いイメージや、排他的な雰囲気で利用しづらいという印象は根深く、商店街を復興をしようとする活動は予想以上に困難だった。

 更には、傍目から見れば突然始まった、商店街を盛り上げようとする飾り付けやイベント、セールの頻発するという動きは、周辺市民からはあまりにも急なことで不気味がられ、敬遠されるようになった。そして、客足が遠のく結果となってしまった。

 だがしかし、またしても佐藤優という存在によって商店街に劇的な変化が起こった。

 最初は、自分たちだけで解決して佐藤優に対してカッコよく見せようと始めた商店街の問題だったが、想像以上の衰退と寂れ具合、何をしても効果が得られない現状を目の当たりにして、佐藤優の助けが必要だと感じていた。

 佐藤優に助けてもらえる今回の機会を逃せば、永遠に商店街に活気を取り戻すことは出来ないだろう、と思い至ったのだった。

 佐藤優を利用した、商店街の各店が一丸となっての大海たかみの企画は大成功した。

 今までは、行く目的も無かった商店街だったけれど、佐藤優という男性を一目見る、という大きな目的が出来ると、商店街を訪れる人が多くなった。しかも、日ごとに接客する店が変わり、店ごとに着ている服装も変わって、色々な佐藤優という男性の姿を見られるという。連日、商店街を通う人が続出したのだった。

 加えて、佐藤優が職業体験として設定されてる時間以外にも自主的に商店街の手伝いをするようになり、今までは時間外で佐藤優が居なかった夕方ごろ仕事終わりのサラリーマン達でも、佐藤優との交流を持てるようになったら、夕方以降に来るお客さんも増えていった。

 仕事終わりにクタクタで疲れた彼女達は、佐藤優という癒やしを求めて商店街へとやって来て、言葉を交わし、そして翌日頑張るぞという活力を得ていた。新しいサラリーマンの日常が生まれていたのだった。

 佐藤優は商店街の看板息子として、一気に認知されるようになっていった。

 このようにして、今の商店街は少し前までの状況からは考えられない賑わいを見せていた。だがしかし、商店街が盛んになる一方で割りを食っている存在もあった。地元スーパーである。

 そこの地元スーパーを任されていた店長は、とても焦っていた。彼女は大きな失敗もせず、店長としての仕事を無難にこなしていたけれど、ある時から来店者数が減っていっている事に気づき、地元の商店街の活動について知った。そして、まずい状況を認知した時には、売上の減少が無視出来ないほどの大きな影響をスーパーにもたらしていた。

 何とかしなければ! そんな気持ちを持ちつつ、良い対策は思い浮かばない。しばらく前の、商店街の人達と同じような絶望的な気持ちを味わっていた。

 そんな焦る日々を過ごす彼女は、後に大きな事件を起こすことになる。

 

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第57話 活動経過

 商店街を復興させる為にも、もっと多く時間を掛けて彼女達と一緒に活動しようと僕は決めた。という訳で、職業体験として限られた時間以外にも、学園の授業が終わった放課後等の時間も使って、商店街に赴いて手助けをしていた。

 けれど、そればかりに時間を掛けている訳にもいかなかった。平日の、職業体験の授業以外では各科目の通常授業があるからだ。そしてタイミングの悪い時と言うべきか、学生としては仕方のない事だけれど定期試験の予定も有ったので、そちらの対処にも時間が取られていた。

 つまりまとめると、学業に商店街のお手伝いにと充実した日常を過ごしていた。


***


「どうだった、試験の結果は?」

 つい先程、教師から返却されたテストの答案用紙を片手に持って、僕の席近くまで尋ねてきたのは、男友達の圭一だった。

 近づいてきた彼の表情は暗く、声も普段より小さめで、見るからにテンションが低い事が分かる。どうやら、今の圭一の様子から察するにテストの結果は良く無かったようだ。

「こんな感じ」

 僕は見直していた答案をクルリと、圭一の見える方向に向けて返事をした。僕のテストの結果は、幸いにも平均点を超えて少し高めの点数だった。

「なかなか、良い点じゃん。優は真面目だねぇ。こっちは、こんな感じ」
「うわっ、赤点ギリギリだね」
「まぁ、なんとか凌げたからオッケーという事で」

 一応僕は、大学まで卒業したという記憶を持っているので、高校生が学ぶ範囲の勉強ならば復習して内容を思い出すような感覚で、簡単に理解できた。

 周りが努力して良い点を取ろうと勉強を頑張っている中で、自分だけズルをしているような気持ちになり、少しだけ罪悪感を抱いてしまう。けれど、その記憶があったからこそ商店街を手伝う時間を多く取れたので、有り難いとも感じていた。

 それに、記憶を持っているからこそ混乱してしまう教科、例えば日本史や世界史等の知識に関して言えば、思い違いを無くすために入念に復習をしないといけない。という事も有るので、結果的に記憶を持っている良い面も悪い面も、どっちも有った。

「それよりも、確か優は商店街の手伝い、学校の時間外もしてるんじゃなかったっけ? よく、テストの勉強する時間があったね」
「両立できるように計画を立てて、うまい具合に頑張れたからね」
「そんなんだ。まぁ、あんまりあっちの方には深入りしないほうがいいよ。商店街の人達の手伝いも程々にね」
「うん、心配してくれてありがとう」

 圭一には商店街の危機に関して話してあったので、少しは事情を知っている。だがどうも、僕が商店街の彼女達を手助けする事に関して良くは思っていないらしい。

 度々、深入りしすぎないようにと忠告を受けていた。そして、今回もテストの結果に絡めて、やめるように促そうとしたのかもしれない。けれど、僕が彼の予想以上に良い点数を取っていたから、思ったようには忠告できなかった、という感じだろうか。

(うーん。自分では、そんなに負担に感じていないけれど、周りから見たらやっぱり心配になるのかなぁ?)

 友人の圭一と同様に、母親である香織さんにも常に心配するような言葉を毎日掛けられていた。春姉さん達、他の姉妹からも香織さん程では無いし言葉には出さないが、気遣わしげな視線を毎日会うたびに向けてくるのをヒシヒシと感じていた。

 圭一が僕の調子を心配して、商店街の手伝いはやめるように言ってくれているのも理解している。けれど、今更面倒だからと言って彼女たちの手伝いをやめることはできない。

 一番心配かけさせてしまうマズイ状況は、過労で倒れてしまうことだろうか。
 自覚は薄いけれど、前に入院していた事もある。もう一度倒れて入院してしまわないように注意して、自分の体の調子を逐次チェックしていこうと、心にしっかりと留めておいた。


***


「こんにちは、波々伯部さん。お疲れ様です」
「あら、こんにちは。思ったより早く来てくれたわね。制服の準備は出来ているから、奥で着替えてきて」

 学園の授業が終わり、今日も寄り道せずに商店街に到着。本日は、波々伯部さんが店主をしている電気店での接客のお手伝いだった。

 波々伯部さんとは、顔を何度か合わせているけれど、二人きりになることは無かったし、直接会話することも何度かしか無かったので、少し緊張していた。

 大海さんや、野辺地さんに比べると、どちらかと言えば控えめで前に出ない印象の人だったので、無口な人なのだろうと勝手に思っていたけれど、意外と普通でスムーズに挨拶を返してくれた。

 僕がイメージていた波々伯部さんの性格とは、少し違うのかもしれない。

 彼女の事について考えながら、用意されているという制服の置かれている部屋へとやって来た。そして、僕は部屋の中央にポンと置かれているソレを見て、困惑する。

「……もしかして、制服ってコレなんだろうか?」

 アイドルが着るようなド派手なフリフリの装飾が付いたジャケットに、首元に巻くためのものなのか、大きなファー、そして上半身を際だたせる為なのかシンプルな半ズボン。電気屋には似つかわしくない、何かのアニメのコスプレのような現実離れした衣装。

 一応、部屋の中を見回してみたけれど他に僕が着れるような服はない。と言うことは、波々伯部さんの用意した制服はコレなのだろう。

「一応着てみたけれど、やっぱり落ち着かないな」

 かなり派手な洋服に、気持ちが慣れない。ソワソワとした感情を何とか落ち着かせて、すぐに接客に出ることにした。集中して働いていたら、すぐに気にならなくなるだろうから、と自らに言い聞かせて。

「ぁ、き、着替え、終わった、のね……?」
「はい、なんとか……」

 着替えた僕の姿を、上から下に、そして下から上に視線を動かして観察してくる波々伯部さん。何故か彼女も、僕の姿に困惑して言葉に詰まっていた。まさか着方を間違えたか、それともおかしな部分があるのか、と不安になった。

「じゃ、簡単に接客方法を教えるから」
「はい、おねがいします」
 波々伯部さんは、先程の困惑した様子が無かった事だと言うように切り替えて、すぐさま電気店での接客方法について簡単なレクチャーをしてくれた。そして、説明だけ受けるとすぐに店内に出るように指示される。

 電気店という、日常的には買い物に来ないようなお店でも、僕が接客に出たら外で様子を伺っていたお客様が、すぐに店内へと早速入ってきた。

「あ、あのッ、電池を探しに来たんですけれど……」
「はい、こちらにあります。どの種類をお求めですか?」

「えーっと、電球は、どこにありますか?」
「はい、電球はあちらの棚に各種取り揃えてありますよ」

 僕が商店街の各店を回って接客し、店ごとに制服を変えていくという大海さんの企画は、今のところ大成功だった。

 色々な制服に着替えて接客をするという僕の姿を見たいというお客様が、連日商店街を訪れてくれた。そして、毎回違うお店に居るという事で各店が賑わい始めていた。徐々にだが、確実に商店街全体が以前と同じような活気を取り戻してきていた。

 ちなみに今回の違和感のある制服も、お客様に好評のようでした。

 

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第56話 再生に向けて

「ありがとう、佐藤くん」
「いえ、僕の力が少しでもお役に立てれば幸いです」

 野辺地さんの頭を下げての必死なお願いに、僕は商店街のためにならと了承するという返事を返すと、下げていた頭を勢いよく上げて嬉しそうな、少し涙ぐむような声で改めて感謝の言葉を彼女は口にした。

 僕達の状況を見ていた他の三人の女性達も、僕の返事に対して先ほどの暗い表情が一転して、明るく朗らかになっていた。彼女達の様子を見て、僕は商店街のために協力を申し出たことに間違いは無いと確信していた。

「実は、既に佐藤くんに協力を頼んで引き受けてもらった時の、色々な方策を考えていたんだ」

 野辺地さんは、少し潤んでいた瞳を誤魔化す為なのか、指でメガネをクイッと上げて直しながら姿勢を正すと、今後について、僕の協力の下に商店街を再生させる為に練ったというプランについて説明を始めた。

「地元のスーパーと、商店街。この二つを比べて強み、弱みを考えてみたの。スーパーは商品の種類がたくさん有って、価格も商店街に比べて安く買える。一つのお店で、欲しいものがほとんど買い揃えられる」
 野辺地さんはまず、スーパーのメリットについて語った。確かに、大量に仕入れをして価格を抑えるスーパーに対して、個人商店では値段の太刀打ちをするのは難しいだろう。そして、商店街の場合は欲しいものを買い揃えるのに、例えば八百屋や魚屋、肉屋など幾つかのお店を見て回らないといけないのがデメリットか。

「ただ、スーパーではお店の人との交流はほとんど無くって、レジを通すのも機械的で人間味というか、あたたか味がない」
「逆に言えば商店街の一番の強みになるのが、買い物を通して人との交流、というか人情味がある、ってことだろうな」
「そう、だから商店街にある強みを磨いていけば良い」

 野辺地さんと大海さんの二人が、議論をしながら今後何をするべきなのか確認していく。そんな二人の会話に、僕は疑問を挟む。

「具体的に、一体何をするつもりなんですか?」
「やっぱりまずは、お客様に来てもらうこと。商店街に来てもらう目的を作ること。そして、その為にも佐藤くんに協力してもらいたい」

 野辺地さんが僕を見据えながら、具体的に何をしようとしているのか語る。

「つまりは、佐藤くんには商店街に有る各店についてもらって接客してもらいたいの。神谷さんから、君を横取りしてしまって申し訳ないと思うけれど、それで各店に人が来るハズ」
「神谷さんのクローリス洋菓子店以外で、この商店街の中にあるお店に出て接客をする、という事ですよね?」
 僕の理解が正しいというように、野辺地さんが頷く。
 職業体験という名目上、今まではクローリス洋菓子店で店員として接客をしてみる学習を行っていた。それを、商店街の各商店に範囲を拡大して接客してみてほしいという要請だった。そして、彼女は更に言葉を付け加えた。

「そして、お店ごとで接客する時に用意された特有の制服を着用してもらいたい。例えば、私の花屋に出てもらう時には、コレ!」
 そう言って、野辺地さんが手に持って出してきたのは首掛けの真っ赤なエプロンと、真っ白なシャツ、そして裾がほとんど無い極端に短いホットパンツだった。

「おい、薫。それ、ただ単にお前の嗜好ってだけで履かせたいから、じゃないだろうな?」
「そ、そんな短いズボンを履いたら、佐藤くんの生足が全部出てしまうわ。まだ学生の彼に、そんな格好をさせるなんて可哀想よ」

 野辺地さんの持ち出した服装を見て呆れる大海さん、破廉恥だと反対する波々伯部さん。すかさず野辺地さんが反論する。男性の生足がどうやら需要が有るみたいだけれど、どちらかと言えば背が率い僕では幼く見えるだろうし、そちらの方が心配だった。

「いやいや、確かにコレは私の趣味が若干は入っているのに否定はしないが、色々と考えて行き着いた結果でもある。これなら商店街の集客率は一気にアップするハズ! どうだ? やってくれるか? 佐藤くん!」
「えっと……、それぐらいの服装だったら大丈夫ですよ」

 興奮して顔を赤らめるほどの野辺地さんの主張に、一瞬気負されて断ろうと頭を過ぎったものの、商店街のためになるならと、足を出すぐらいなら平気だと考えて、制服を受け入れる。

「ありがとう、佐藤くん! 君には大きく負担を掛けてしまうだろうし、本当に申し訳ないけれど、今考えられる商店街のための一番の方法は、やっぱりコレしか無いと思う。改めて、本当に協力してくれてありがとう」

 僕が商店街のための協力を了承したことで、商店街の復活に向けて洋菓子店以外のお店でも接客することが決定した。そして、お店ごとに用意された制服を着用して接客することも決定した。

 大海さんや、波々伯部さんの口から小さく漏れ聞こえてくる、レース、スカート、フリフリ、和服……、と言うような単語が耳に届いて、あっさりと了承してしまったことに少しだけ後悔と、一体どんな服を着せられてしまうのだろうという不安を抱きつつ、出来る限り頑張ろうと決意を新たにした。

 こうして、ようやく商店街を復興するため考えられた新しい方法について情報共有が終わり、翌日から早速行動を開始した。

 

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第55話 問題点いろいろ

 クローリス洋菓子店にはお客様がやって来るけれど、肉屋や八百屋、魚屋など他の店に彼女達が立ち寄る様子はない。それが、商店街の現状だった。

 一部だけ客足が戻って問題が改善されたとしても、全体が駄目なままなのである。しかも、洋菓子店だっで僕という客寄せが無ければ、以前の寂れた状態に戻ってしまうかもしれない。根本的な解決は、未だに出来ていない状況なので何か対策を考えないといけない。

 商店街の復興を目指して、会長である大海さんや他の商店街の皆さんは精力的に色々な活動をしているようだった。

 手作りのチラシを作って、近所に住む人達にセールのお知らせを配ってみたり、商店街の入り口を飾り付けしてお客を呼び込んでみたり、福引で商店街の販売促進してみたらしいけれど、残念ながら大きな成果は出ていないという。

 そんな彼女たちの動向について、僕は職業体験をさせてもらっている僅かな合間に神谷さんからどうなっているのか、情報を聞いていた。

「商店街の告知やイベントとか、色々とやってるけれど残念ながらどれも駄目みたい。もっと、お金を掛けて大々的にできれば良いのだけれど、商店街で集めてる商会費、使用する為の許可が下りないらしいわ」
「許可? 今も結構深刻な状況だと思うんですれけど、他に使いどきなんて無いんじゃ……?」

 色々と試行錯誤しているけれど、やっぱり何事にも限界がある。そして、商店街でイベントを行うのにお金が足りていないという。

 この商店街で一世代前に商売していた人たち、つまり商店街前会長だった人や前運営委員の人たちが、商店街の運営のために徴収していた商会費が有るらしいのだが、それを使う事に関して頑なに反対しているらしい。

 お金が絡むことなので、商店街の現会長である大海さんであっても一部だけの判断で商会費を使用することは出来ず、話し合いで何とか皆の了承を得ようとするが上手くは行っていないらしい。

「そんな訳で、今のところ商店街を盛り上げようと考えていた色々な作戦も手詰まりになっている、って訳」
「今も変わらず、厳しい状況のようですね」

 商店街の皆が活発に行動していると話を聞いていたので、何かしらの進展は有るかもしれないと僕は考えていたけれど、それは楽観的過ぎたらしい。

 神谷さんは、商店街の状況を伝え終えると深い溜め息をついていた。商店街復興のために考えて実行してみた施策は効果が出ず、商店街の復興に非協力的な人も多いらしい。
 話を聞いているだけの僕でも、気分が落ち込んでしまうくらいに今の商店街の状況は悪い。

 今もクローリス洋菓子店の外にある通りに視線を向けてみたけれど、お店にある前の通りに人は歩いていない。平日とは言え、買い物客がこれほど居ない商店街は誰が見ても危機的状況だということが簡単に理解できた。


***


 商店街の現状について教えてもらった前回と同じ喫茶店にて、同じメンツが集まって商店街復興の状況や今後について、話し合いが行われていた。そして、再び僕は話し合いの席に招かれていた。

「とにかく効果が出るまでイベントを繰り返し行なって、客足を戻すキッカケを沢山作っていけば良いんじゃないか?」
「お客様が商店街に来る目的も意味も薄いのに、イベントを乱発しても客足が以前のように戻るとは思えない。それこそ、時間と費用の無駄になってしまう」

 会議が始まるなり、熱くなって発言する大海さんに、冷静さを保って反論する野辺地さん。そして、二人のそばに座り困った表情で話し合いに割り込めるような雰囲気も無く眺めるにとどめている、波々伯部さんに神谷さん、そして僕。

 二人の会話の中で、商店街を復興するためになるような画期的なアイデアは、未だに出てこなかった。

 少しの間、二人だけの話し合いは続き、これでは埒が明かないと気づいたのか野辺地さんと大海さんが話し合いを一旦やめて、今の状況について整理するためなのか、僕に状況を改めて詳しく教えてくれた。

「色々とやってみたけれど、どれも全滅。もっと大きなことをやろうと考えてみても、前会長の老人達は商会費を使うのに反対しているからね」
 両腕を前に組んで、忌々しげに語る大海さん。

「前会長の反対する意見として、何をやっても無駄に終わるのが目に見えてるからって、代々集めてきた商店街会費を無駄に消耗するだけだから、許可を出せないだってさ」

 野辺地さんは、前会長がなぜ商会費という商店街の為になるように集めた筈の会費を、今回の為に使用することを反対しているのか理由を教えてくれた。そして、続けて反対している人たちを批判するような発言をする。

「本人たちは、そんな意識は無いだろうけれど……。今までずっと続いてきたからって理由で、商店街を変化させることを極端に嫌がっているのよ。いや、恐れているのかな……。とにかく、彼女達はすごく非協力的になっている」

 わざわざ集まり話し合ってみても、結論は出ない。行き詰った会議に、皆の雰囲気が悪くなってくのを肌で感じ取れるぐらい空気が淀んでいく。

 そんな重苦しい空気の中、何かを決意したような表情をした野辺地さんが僕に視線を向けてきた。

「申し訳ないけれど、私たちはアイデアも時間も、お金さえも極々僅かしかない。後は、佐藤さんという切り札しか残っていない」
 鬼気迫るような表情で、野辺地さんの話は続けられた。

「以前、洋菓子店の店員だけやってもらえれば良いと言ったけれど、そう言っていられない状況まで私達の商店街は追い込まれてしまっている。もう少しだけ、佐藤くんの手を借りられないだろうか。どうか、商店街を助けてくれないか。お願いします」
「あ、頭を上げてください、野辺地さん。もちろん、僕はこの商店街の為に喜んで活動させてもらいますよ」

 野辺地さんがテーブルの上に額が引っ付くぐらいまで頭を下げて、心の底からの頼み事に僕は勿論助けると了承の言葉を口にしていた。

 

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